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テントを担いでひとり旅

英語―そして世界へ

 英語が苦手だ。得意、不得意という以前に、まったくできない。 中学以来、もう六年以上は勉強していることになっているが、それは形ばかりであって、実際のところなにひとつ理解っていない。 中学の最初にならうBe動詞にしても、それがおぼろながらにつかめたのは高校に入ってからだった。原形がbeで、その活用形がis, am, are などであると知ったのが高校のはじめで、is, am, are が動詞であ
テントを担いでひとり旅

旅人たち

 ひとり旅をしているひとというのは、考える人ばかりだ。それはいままでに会ったひとに共通している。そりゃ意識的に主体性を持って行動しているのだから当然かもしれない。 パック旅行のように与えられたプランについていくのではなく、自分で考え、情報収集し、行動するのだから、少なくとも無気力であったり、消極的であるはずがない。 みな考え深い人であると同時に、何かに対して積極的な探求心を持ち、「自分」という
西表島キャンプ旅-1995

はじめてのヒッチハイク

 西表島で、はじめてヒッチハイクというものを体験した。 旅の形態としてのヒッチハイクを知らないでもなかったが、どうも時代錯誤なかんじがして、まさか自分がヒッチハイクを経験することになるとは思ってもみなかった。 西表島についた初日、炎天下のアスファルトをトボトボと歩いていると、一台の車がとまってくれた。大
西表島キャンプ旅-1995

ひとり旅する女の人の気持ち

 ひとりで旅をする女の人、いったいどんな気持ちでそうしているのだろうか。 今まで、テントとシュラフを持参の旅というのは男の専売特許と思っていた。 旅の感覚をわずかながら理解してくれる女友達に旅の話をすると、「いいよね。男の特権だよね。女だとそうはいかないから」と言われたものだ。 ところが西表島へ行ってからは女性のソロキャンパーが意外にも多いのに驚いてしまった。僕が直接あった人は限られているけ
西表島キャンプ旅-1995

台湾から来た箸

 沖縄西表島から持ち帰った数少ないもののひとつに台湾製の竹箸がある。台湾製といっては正確ではないかもしれない。台湾産の素材をつかって西表島で作られた箸といったらよいだろうか。 などともったいぶったところで、実はなんてことはない。ただ西表島の浜に流れついた流木を削って箸を自作したというだけの話だ。 テントを張っていた南風見田の浜は延々数キロつづく天然の海岸だった。沖合数百メートルのところに、切れ
西表島キャンプ旅-1995

旅のカメラ考

 旅にはカメラがつきものである。 なぜか旅行というと、ふだんは写真なんかにまったく興味のない人でも、カメラに手がのびる。 だれでも、目で見て感動したものを人にも伝えたいと思うものだ。その点、写真の記録は旅を客観的に伝えるには最適なものといえるだろう。 そうした有用性を認めつつも、僕はどうもカメラにはなじめない。以前は当たり前のごとくカメラを持って旅行に出たのだが、いつしかそれをやめてしまった
西表島キャンプ旅-1995

優雅なる船旅

 我が愛する西表島への交通はいささか不便である。東京からの直行便がないのはもちろんのこと、普通は最低三回は乗り継ぎをしなければいけない。 大きくわけて空路と海路があるが、そのどちらも東京から那覇、そして那覇から石垣、そして西表島という経路を踏む。 去年か一昨年だかトランスオーシャン航空から羽田―石垣直行便が開通したが、まだ本数は少なく、時間的な問題で一日で西表に入るのは難しいようだ。 一般的
西表島キャンプ旅-1995

西表島への思い

 沖縄の西表島に初めて足を運んだのは中学三年、十四歳の夏だった。 西表島を含む八重山諸島の中心、石垣島を拠点にしての日帰りの観光ツアーでの訪問だった。それでもそのときそこで感じたものは一種衝撃的なものだった。 それは『常識』というものに疑問を感じた第一歩でもあった。 横浜という、なにもかもが人のために造られた街に育っただけに、人の手によるものがあまりに少ない西表島の存在自体が僕にとっては驚き
西表島キャンプ旅-1995

旅の感覚

 沖縄の西表島を中心に三十三日間の旅行にいってきたわけだが、これを周りの人に説明するのに一苦労する。以下床屋での会話である。「いやー、真っ黒に焼けてきましたね。どこへ行ってきたんですか」「一月ほど沖縄へ……」「そうですか、沖縄ですか。一月もいいですね」 この段階で、そう聞いてきた人の頭の中には、万座ビーチホテルあたりの光景が頭に浮かんでいるのである。 だから言ってやる。「沖縄といっても
テントを担いでひとり旅

東海道踏破をとおして学んだこと

 最初は「絶対に無理だ」と、夢のまた夢という感じに捉えていた東海道連続踏破を、いつの間にか果たしてしまっていた。 東海道を全部歩くなんて、普段から体を鍛えていて筋骨隆々の人が苦労してこそ、はじめて成せる業かと思っていた。それが、ろくすっぽ体も動かしてない見るからに〈運動音痴タイプ〉の自分にできたなんて信じられない。 少なくとも僕は、「なにか運動をなされているんですか?」などと尋ねれるような風貌