西表島への思い

西表島キャンプ旅-1995

沖縄の西表島に初めて足を運んだのは中学三年、十四歳の夏だった。

西表島を含む八重山諸島の中心、石垣島を拠点にしての日帰りの観光ツアーでの訪問だった。それでもそのときそこで感じたものは一種衝撃的なものだった。

それは『常識』というものに疑問を感じた第一歩でもあった。

横浜という、なにもかもが人のために造られた街に育っただけに、人の手によるものがあまりに少ない西表島の存在自体が僕にとっては驚きだった。

西表島は、今世紀最大の発見といわれるイリオモテヤマネコの存在で知られているが、そんな生きた化石が人知れず生き続けたことからもうかがい知れるように、そこはまさに自然の宝庫で、天然の原生林が島の九十パーセントをおおっているという類い希な島だ。

西表島には沖縄県下最大の落差を誇る滝がある。現地語でヒナイサーラと呼ばれているが、通常の観光ではそれを見ることができない。(はるか遠くに遠望することはできるが)
今でこそボートが出ているらしいが、数年前までは自分の足で二時間ほど亜熱帯のジャングルを歩かなければ滝までいかれなかった。しかも海の引き潮どきをねらって広い湾を横断していかなければならない。帰りが遅れたりすると潮が満ちて足の届かなくなった海を五百メートルほど泳がなくてはならなくなる。

つまり、観光地化がされていないのだ。ジャングルの中のルートにしたって道標があるわけではなく、ただ木に赤いテープが貼ってあるだけだ。

仮にも沖縄県下最大の滝である。それをこんなふうにほったらかしにしておく感覚が理解できなかった。

たとえば日光の華厳の滝。滝の真正面にそれは立派な展望台を設けている。もちろんそこでは金を取る。これが当たり前と思っていた。

また滝というと通常は眺めておしまいである。所定の場所から滝を眺める。それはせいぜい滝壺の少し手前。危ないからこれ以上入ってはいけませんという柵の手前から見るだけ。

しかし西表では観光地化された滝でさえ、柵なんてものはない。危ないから川に入るな、なんて看板が立っているわけでもない。

天然の滝がポンとその場にあり、それを眺めて楽しもうが、落ちる水に打たれようが、はるか下の滝壺に飛び込もうが、まったく自由なのである。

すべては個人に委ねられていて、ひとりひとりが判断し、その責任のもとに行動できるのだ。

東京の公園では、池には柵があって立ち入り禁止になっている。子供が登って危ないからといって柿の木の枝は切り落とされた。ジャングルジムから子供が落ちて怪我をすれば、安全対策を怠ったとして行政が訴えられる。行政も過保護とも思える過剰な対策に乗り出す。

なんという大きな違いだろうか。今までの自分にとっては後者があたりまえだった。なんの疑問を感じるまでもなく、それが常識であった。

しかし、西表島を通して気づかされた。あまりに主体性のなかった自分。与えられたものを手放しで受けるだけであった自分。また人間らしくない都会での生活に疑問すら抱かなかった自分。

西表島にいったことで、はじめて自分で考えることを知った気がする。また常識とはなんなのか。当たり前のことってなんなのか。今まで絶対と思っていたことが、実は実体のない虚構に過ぎないのではないかと考えるようになった。

すべては西表島からはじまった。