優雅なる船旅

西表島キャンプ旅-1995

我が愛する西表島への交通はいささか不便である。東京からの直行便がないのはもちろんのこと、普通は最低三回は乗り継ぎをしなければいけない。

大きくわけて空路と海路があるが、そのどちらも東京から那覇、そして那覇から石垣、そして西表島という経路を踏む。

去年か一昨年だかトランスオーシャン航空から羽田―石垣直行便が開通したが、まだ本数は少なく、時間的な問題で一日で西表に入るのは難しいようだ。

一般的には飛行機で那覇経由で石垣に入り、そこから船で西表へというルートをとる。これだと一日で余裕を持って西表島入りできる。しかしべらぼうに金がかかる。たしか十日間有効の往復割引きを使っても往復約九万円はしたはずだ。下手な海外への航空券より高い。

そこで登場するのが海路である。これも途中経由地は飛行機とおなじなのだが、西表まで五万円ちょっとで済む。しかも学生の特権学割を使えば四万円たらずで往復できてしまう。なんと飛行機の半額以下となってしまうのだ。

しかし、うまい話には罠があるというのは世の常である。この船旅の場合、安い運賃に目を奪われて、見落としがちなのが「食費」だ。

船旅は安いかわりに時間がかかる。東京から那覇までが五十四時間、那覇―石垣が十二時間、そして石垣―西表が一時間程。途中乗り継ぎがうまくいったとしても、確実に丸々三泊四日はかかる。

つまり実際の船旅では、通常運賃に加えてこの四日分の食費が加算されさたのが本当の料金なのだ。

まさかこの食費だけで三万も四万も使うわけではないから、飛行機に比べて安いことには違いないのだが、船内の食堂の料金の高さには、少々頭に来る。

メニューによるが一食七五〇円から一二〇〇円くらい。それに缶ジュースが一三〇円でビールはレギュラー缶で三〇〇円。あとなぜか古本と称してぼろぼろのマンガ週刊誌などが一〇〇円で売られていたりする。船上という独占市場なだけに強気である。

今回の旅行では、お金は使いたくなかったので食料はすべて持ち込みとした。しかし夏場なので日持ちするものでなければならない。その結果選んだのはパンと練乳、あとはチーズ。
途中、那覇で船を降りる機会があったが、そこでもなにも買わずに、東京から持ってきたロールパン一〇個で三泊四日を持たせた。

船の中というのは広いようで狭いものである。出向直後などはデッキから景色を眺めたりして、それなりに時間を潰せるのだが、大海原にでてしまえば、あとはひたすら海ばかり。綺麗な海を一日中のんびり眺めているというのも贅沢なときの過ごし方かも知れないが、実際にやってみると、そう長い時間はもたない。

そこで船の中をうろちょろするわけだが、これもたいして時間をくわずに終わってしまう。
結局することといえばデッキの日陰で昼寝をする、に落ち着くのである。

しかし、これも度をこすと夜になって寝られなくなり、昼間以上に退屈な時間を過ごすこととあいなる。

しかし、そんな船内の生活も、気のあう人と出会うと様相は一変する。こんどは反対に船の中の時間があまりに短く感じられるのだ。

この「時は金なり」の時代に、船で何日もかけて旅する人には、おのずと似通った部分がある。そんな初対面で一期一会に過ぎない関係でも、不思議と話は弾み、初対面だけにお互い話は尽きない。

静かな夜のデッキで座りながら、または解放された食堂のテーブルで、お互いの旅での体験を語り合う。どこの景色が素晴らしかった、どこそこのキャンプ場は最高だった、旅先でこんな人にであった、あそこの民宿のおじさんは親切だった、などなど。

そして気づくと船は目的地に近づき、惜しみつつわかれることになる。

このコミュニケーションこそ、不便な船旅の醍醐味であると思う。

キャンプで長期滞在するときもこうした語らいの機会はあるが、船では船なりの特色があって楽しい。そこで出会う人たちは旅の形態にも幅があり、島のキャンプ地では決して知り合わないようなタイプの人も多い。たとえばダイバーなどがその代表だろう。 たまには蚊帳の外からの意見を聞くのも楽しいものである。

優雅なる船旅  その条件は、ひとえに人と触れ合うきっかけを、どうつかむかにかかっている。