西表島キャンプ旅-1995 はじめてのヒッチハイク 西表島で、はじめてヒッチハイクというものを体験した。 旅の形態としてのヒッチハイクを知らないでもなかったが、どうも時代錯誤なかんじがして、まさか自分がヒッチハイクを経験することになるとは思ってもみなかった。 西表島についた初日、炎天下のアスファルトをトボトボと歩いていると、一台の車がとまってくれた。大 2006.12.09 西表島キャンプ旅-1995
西表島キャンプ旅-1995 ひとり旅する女の人の気持ち ひとりで旅をする女の人、いったいどんな気持ちでそうしているのだろうか。 今まで、テントとシュラフを持参の旅というのは男の専売特許と思っていた。 旅の感覚をわずかながら理解してくれる女友達に旅の話をすると、「いいよね。男の特権だよね。女だとそうはいかないから」と言われたものだ。 ところが西表島へ行ってからは女性のソロキャンパーが意外にも多いのに驚いてしまった。僕が直接あった人は限られているけ 2006.12.08 西表島キャンプ旅-1995
西表島キャンプ旅-1995 台湾から来た箸 沖縄西表島から持ち帰った数少ないもののひとつに台湾製の竹箸がある。台湾製といっては正確ではないかもしれない。台湾産の素材をつかって西表島で作られた箸といったらよいだろうか。 などともったいぶったところで、実はなんてことはない。ただ西表島の浜に流れついた流木を削って箸を自作したというだけの話だ。 テントを張っていた南風見田の浜は延々数キロつづく天然の海岸だった。沖合数百メートルのところに、切れ 2006.12.05 西表島キャンプ旅-1995
西表島キャンプ旅-1995 旅のカメラ考 旅にはカメラがつきものである。 なぜか旅行というと、ふだんは写真なんかにまったく興味のない人でも、カメラに手がのびる。 だれでも、目で見て感動したものを人にも伝えたいと思うものだ。その点、写真の記録は旅を客観的に伝えるには最適なものといえるだろう。 そうした有用性を認めつつも、僕はどうもカメラにはなじめない。以前は当たり前のごとくカメラを持って旅行に出たのだが、いつしかそれをやめてしまった 2006.12.04 西表島キャンプ旅-1995
西表島キャンプ旅-1995 優雅なる船旅 我が愛する西表島への交通はいささか不便である。東京からの直行便がないのはもちろんのこと、普通は最低三回は乗り継ぎをしなければいけない。 大きくわけて空路と海路があるが、そのどちらも東京から那覇、そして那覇から石垣、そして西表島という経路を踏む。 去年か一昨年だかトランスオーシャン航空から羽田―石垣直行便が開通したが、まだ本数は少なく、時間的な問題で一日で西表に入るのは難しいようだ。 一般的 2006.12.03 西表島キャンプ旅-1995
西表島キャンプ旅-1995 西表島への思い 沖縄の西表島に初めて足を運んだのは中学三年、十四歳の夏だった。 西表島を含む八重山諸島の中心、石垣島を拠点にしての日帰りの観光ツアーでの訪問だった。それでもそのときそこで感じたものは一種衝撃的なものだった。 それは『常識』というものに疑問を感じた第一歩でもあった。 横浜という、なにもかもが人のために造られた街に育っただけに、人の手によるものがあまりに少ない西表島の存在自体が僕にとっては驚き 2006.12.01 西表島キャンプ旅-1995
西表島キャンプ旅-1995 旅の感覚 沖縄の西表島を中心に三十三日間の旅行にいってきたわけだが、これを周りの人に説明するのに一苦労する。以下床屋での会話である。「いやー、真っ黒に焼けてきましたね。どこへ行ってきたんですか」「一月ほど沖縄へ……」「そうですか、沖縄ですか。一月もいいですね」 この段階で、そう聞いてきた人の頭の中には、万座ビーチホテルあたりの光景が頭に浮かんでいるのである。 だから言ってやる。「沖縄といっても 2006.11.28 西表島キャンプ旅-1995