こんな旅をしてきた

テントを担いでひとり旅

いまじゃそれほどかわったこととは思わないけど、以前は公園とか橋のしたとか町中でキャンプするだけで、すごいことだと思っていた。

アウトドアブームだとかで、キャンプを経験したことのある人は多いと思うけど、キャンプというと山とか川とかのキャンプ場でテントを張って、夜はキャンプファイヤーをして、おいしいアウトドア料理を楽しむ、ってのがふつうでしょ、きっと。

ぼくの場合、キャンプというものをはじめたのが、どちらかというと登山系からだったから、そこまでカジュアル化はしていなかったけど、それでもキャンプは大自然の中でするものというイメージを持っていた。

はじめて町中でテントをはったのが、十七歳のときの東海道をめぐる最初の旅のときだ。

東京から箱根まで歩くにはどうあがいても一日じゃムリだということはわかっていた。なにしろ江戸時代の平均的なペースでも二泊三日かかっているんだから。

最初は宿に泊まりながら歩こうとか本気で考えていたけど、たかだか学校の宿題ごときでそこまでお金をかけるのはバカバカしい。

そこでピンとひらめいた。キャンプをすればいいんじゃん、と。東京から箱根の間には、多摩川、相模川、酒匂川、早川と、おおきな河が何本かある。酒匂川なんかは上流でキャンプができるんだから、下流の方だってできないことはないはずだ。

そんないきさつで平塚市内の相模川の河原と、小田原市内の酒匂川の橋のしたでキャンプをしたのがはじまりだった。

最初はいろんな意味で怖かった。十分も歩けばすぐに市街地という場所だ。夜中にわるいヤツがこないという保証はない。警察に怒られないだろうかとかマジメに心配した。それに橋のしたというと多摩川の河原なんかはそうだけど、『定住』しているひとがけっこういる。そんなひとたちの縄張りだったらどうしようとか、あげくのはて野良犬がきたらどうするかとか、心配は妄想的に広がっていった。

でも最初の旅のときは場所の選択がよかったのか、なんの問題もなく町中キャンプを終えることができた。

そこで思ったのは、アウトドア、アウトドアと世の中は騒いでいるけど、要は野外生活なわけでしょ、ってことは全身全霊をもって二十四時間アウトドアを実践してつわもの=ホームレスは、時代をさきゆくトレンディー、といってもいいんじゃないですか?ということ。
所詮はそんなもんなんだよ。キャンプったって野営だし(中国語では露営と書くしね)、アウトドアライフは戸外生活。浮浪者だってりっぱなキャンパー。浮浪者と軒を連ねて野宿してそうおもったね、ぼくは。

最初の町中でのキャンプで気をよくしたぼくは、それから旅の手段として町中キャンプを繰り返した。こうなるとキャンプという言葉の持つイメージからはかけはなれて、Way of overnight at everywhereという感じになってくる。

こうして、ぼくの中では旅行とキャンプの境界があいまいになって、旅という形になっていった。

キャンプという行為自体を楽しむこともあるけど、基本的には安宿の延長線上にあるヤドカリハウスという発想だ。

すごく自由になった気分がした。なんの気がねもなくどこへでも出かけられるのだ。

旅行のときいちばん費用がかさむのは宿泊代だけど、それが限りなく〇円に近いのだからこんなにうれしいことはない。それに加えて宿泊場所に決めたところが景色がよく、人が来なくて、コンディションが最高ならこれ以上の豪華なホテルはない。

いま、ふつうに民宿とかに泊まったら幾らくらいするのだろう? 比較的安いといわれているユースホステルだって、素泊まりで三千円くらいはするはずだ。

一夜を明かすだけで何千円も払うなら、それで旅の日数をのばしたほうがいいし、もっと遠くへ出かける費用にあてたほうが絶対にいい。

これが僕の旅だ。贅沢するくらいなら旅という時間に長く浸っていたい。宿に泊まってフカフカの布団に横になるなんて年とってからだってできるんだし、おいしいものを食べるのなら、なにも旅という場である必要はない。

でも、べつにそういうふつうの旅行を否定しているわけじゃない。それはそれで楽しいことは知っている。

でも「若いときの苦労は買ってでもしろ」ってわけじゃないけど、骨のある旅行をすることで、自分にプラスになっていることが多いのも事実だ。今しかできない勉強の一貫としての旅もいいと思う。

この淋しい世の中でもけっこう親切が残っていることに気づいたのは旅先でだったし、社会の営みのなかからはずれてみて、はじめて社会を客観的に捉えることができた。人間のもっている潜在的な力に驚かされたし、自然への畏怖も感じた。

そうしたことを知り、感じることは、どんな遊びよりも楽しく思えた。なによりうれしいのは、みんなで集まって騒いだりする遊びのあとに感じる空虚感に対して、旅という『遊び』には明らかに手応えがあって、確実にあとに残るものがあることだ。

バイトで稼いで貯金し、残高を増やすのが楽しみという人がいるかもしれない。楽しいという表現は語弊があるかもしれないけれど、すくなくとも預金が増えるというのはうれしいことであるはずだ。

ちょうどそれと同じようなことを僕は旅に感じる。旅に出ると、ふだん気づかなかったようなものごとに出会い、新しい世界が開ける。そしてそこで得た感覚、視野、体験、苦労はみんな僕の中の貯金としてたまっていく。貯金と違うのはそれが出ていくことはないということ。たまる一方だ。それに、たまった知識を自分なりに咀嚼して『考える』ことをしていけば、それはいくらでも新たな知識として膨らんでいく。いわば利子みたいなものだ。

僕が旅に出る理由を理屈っぽく説明するとこんな感じになるのだろう。でもこんな難しいことをゴネなくても旅は楽しい。たまにある苦労とかつらい部分をなんとかプラス方向にもっていこうとすると、こんな話になるのかもしれない。

まあ、とにかく僕はそんなつもりで旅を続けてきた。そこでいろいろなことを『感じた』というのは、やはりそれまで自分のもっていた『常識』から外れた世界を体験したからであって、すなわちそれは話のネタになるようなかわった体験であると思う。

キャンプ(野宿)に関わるそんな体験のいくつかを紹介したいと思う。

ふつうの町中でキャンプをするとしたらどんな場所があるだろうか。僕は安全だと直感したところならどこだって泊まった。河原の橋の下、公園、神社、美術館の軒先、図書館の駐輪場、無人の駅、バスの待合所、駐車場、道路の脇、などなど。

静岡県の静岡市内を歩いているときのこと。阿部川の近くで日が暮れて、どこかで泊まらなくちゃいけなかったんだけど、どうにも疲れていて寝床をさがすのも億劫に思えたときがあった。なかばすてばちの気持ちで交番で尋ねてみた。「どこかテントを張れる場所がありませんか」、そうしたら、そのお巡りさんがいい人で、交番の裏にテントを張ったらいいといってくれた。「ひと晩だけど近所づきあいしようや」、そういってお巡りさんはリンゴをくれたり、とても親切にしてくれた。

同じく静岡の興津というところで、神社でテントを張らしてほしいとお願いしたとき、宮司さんが、拝殿のなかで寝なさいと言ってくれたことがあった。拝殿というとあの御神体があるところだ。ちょっとおっかなかったから辞退したけど、こんなふうにこっちはいかにも怪しい放浪者にすぎないのに、意外な親切を示されて驚くことがある。

反対にこわい思いをしたこともあった。静岡県の富士市役所のとなりの公園にテントを張ったときのこと、地元のヤンキーの襲撃にあった。

きれいなよく整備された大きな公園、これなら奥の方にテントを張れば目立たないだろう、そう考えたのがまちがいだった。

いま思えば、そこは横浜の山下公園にちかい雰囲気だった、そう書けば分かってもらえるだろうか。

昼間はともかく夜中になるとやたらとよくない輩が集まるのだ。概してそういう人たちは人目を避けて目立たない場所にいきたがる。まさにそんな場所にぼくはテントを張ってしまっていた。ふつうの人があまりこないということは、そういう連中は思う存分に好き勝手なことができるということで、いま思えばよく石を投げられただけで済んだものだと思う。

相手は高校生らしき三人組。奇声を上げながらテントの周りを自転車で走り回り、遠巻きに小石を投げはじめた。三十分ほどそうしたあと、やっと諦めて帰っていったかと思ったら、今度は遠くから大きな石がとんでくるようになった。テントを見下ろせる高台があってそこから投石しているようだ。さいわいテントは休憩所のような日よけのしたに張っていたから、直撃は免れたけど、プラスチック製屋根に石があたってすごい音を発していた。翌日テントを出てみると拳大の石が転がっていた。

で、そのあいだぼくはテントの中でなにをしていたかというと、意味はないと知りつつもナイフを握り締めて、震えていた。そうするしかなかった。

まあ、結果的にはなんの実害も受けずに終わったから良かったんだけど。

また、こんなこともあった。岐阜県の知立市役所の軒先で寝袋だけで泊まっていたとき、誰かが通報したのかパトカーが来た。

回転灯を回したパトカーが見えたかと思うと、道からは見えない場所に寝袋をひろげていたにもかかわらず、まっしぐらに僕のほうへ向かってきた。パトカーが止まると同時に警察官が飛び出して、ダッダッダとかけよってきた。ぼくはヤバイなぁと思ったけど、とりあえず寝袋から上半身を出して応対する姿勢をとった。

「おい、なにしてるんだ?」

「の、野宿です」

そのあと、「自分はいま東海道を歩いて旅行していてべつに怪しいものじゃない。勝手に役所の敷地にはいって悪いと思っている。でもどうか今晩だけ泊まらせてもらえないか」、こう続けようと思った。でも緊張のあまり続く言葉が出てこなかった。

しばしの沈黙。

警察官が口をひらいた。

「そうか、寒いから気をつけろよ」

そして来たときと同じくダッダッッダとパトカーに戻って、慌ただしく去っていった。残されたぼくはちょっと拍子抜けした。

だって、なにしてるんだってきかれて、野宿してるだなんて、見たまんまじゃない? どう考えてもアヤしいのにおまわりさんは問題にせずにいってしまった。

内心ぼくは悔しかった。京都から歩いてきたんですよ、そう自慢気にいってやろうと思ったのに。

あと野宿といえば無人駅も想い出ぶかい場所だ。

ぼくの旅はたいていひとりだけれど、高校の時、友だち五、六人で一週間くらい青春18切符をつかって無人駅どまりの旅をしたことがある。

これはこれで独り旅ではない楽しさがあった。無人駅泊まりなんて、ふつうからしたら「あぶない旅行」かもしれないけど、それに女の子二人を含めて五、六人も参加してくれた(五人だったか六人だったかはもう忘れた)のだ。それだけで驚きだったけど、みんなノリがよくて、そこでは静かな夜なんて趣はちっともなかった。無人駅でまわりに民家がないのをいいことに線路の上で花火をやったり、近くの真っ暗なトンネルで肝試しをしたり、さらにはちょっと犯罪まがいのこともやってしまった。

無人駅というのは終電が終わるとタイマーで照明が切れてしまう。そうなるとまわりは畑と山ばかりで家もなし。本当に真っ暗になってしまう。

そこで登場するのが持ち前の知識と技術。(というほどの大袈裟なことじゃないけど)高校が工業の電気科だったので、みんなそれなりに電気の素養はあった。さらに不思議なことにそんな旅行のときでも工具を持ってきたいたひとがいたのだ。電灯線を追いかけて錠のかかった電気の制御盤を見付け、ボルトをはずして蓋をあけ、中のスイッチを切り替えて、駅に徨々と明りをともしてしまったのだ。

ちょっとスリリングで本当に楽しいできごとだった。

こうして僕のしてきたことの一部を例を通して見てもらったわけだけど、まあだいたいがこんな雰囲気のものだ。

そこでやっていることのそれぞれを見れば、トレッキングだったりヒッチハイクだったり、登山だったり、キャンプだったり、野宿だったり、旅行だったりするわけで、これらすべてをくくれる言葉というのが思いつかない。そこでカッコよく『旅』と表現しているけど、これもかならずしも適切な言葉だとは思わない。

旅というと日常の生活の対極として位置づけられるニュアンスが感じられるけど、かならずしもそんなものじゃないと思う。

いまの僕の生活からしたら、旅は非日常としか言えないけれど、でも気持ち的には旅という場にいる自分の方が『生きている』気がするし、ゆくゆくは旅の延長としての日常が作れたらと思っている。

日常で息のつまる生活をしていて、一時的にそれから脱するための手段としての旅、そんな関わり方はしていきたくない。

ただ、旅という場での興奮と躍動感をもって日々を過ごしていきたい、そう思っている。

コメント

  1. 類家 俊明 より:

    私は53歳のサラリーマンですが、若いころあこがれた旅に出てみたくて検索しました。いい体験されていますね。勉強になりました。