旅のはじまり

テントを担いでひとり旅

僕が旅の世界をはじめて知ったのは十七歳、高校二年生のときだった。

この年の夏休みに十日ほど沖縄の西表島に滞在した。そして同じ夏にテントをかついで東京から箱根の関所までを歩いた。

西表島の方はごく一般的の旅行にちかく、箱根まで歩いたのはどちらかというとキャンプの延長みたいなもの。このふたつを一夏のうちに経験したことで、旅行とキャンプの融合という、今の旅のスタイルの基盤ができた。

この西表島での体験と、徒歩旅行はそれからずっと僕の旅の目的の二本柱になってきている。

西表島で受けた印象は、衝撃的といってもいいほどに僕を揺さぶった。そこで見たものを一言でいうなら「自然」ということになるだろう。

自然といっても、緑の草木とか珊瑚の海という意味の自然だけじゃない。ものの在り方を含めた概念としての自然だ。

たとえば海水浴場。地図上では海水浴場となっている場所に行ってみると、そこはただの天然の砂浜があるだけで、僕のイメージしていた海水浴場──沖に遊泳範囲を示すブイが浮かんでいて、海の家があって監視員がいて人でごった返している──はどこにもなかった。

観光名所になっている有名な滝がある。山のなかにあるのだが、そこへ行くと何があるかというと、ただ滝がデンとあるだけ。案内板もなければ休憩所もない。ましてや滝のまわりに柵があるわけでもない。だからそこで泳ごうが滝に打たれようが自由なのだ。(もっとも危なくてそんなことをする人はいないけど)

これはほんの一例だけど、ここで言いたいのは、これまで僕があたりまえだと思っていたことのほとんどが、じつはすごく不自然なことばかりで、こうしてそれとは対称的な光景をつきつけられて、いやおうなしに、自然なものごとの在り方とはなんなのかと考えさせられた、ということだ。

人間と大自然、人間と人間、人間と時間、それらの関わり方でもっとも自然なかたちってなんだろう。

そう考えると、自分のふだんの生活とそれをとりまく環境は、不自然の極致に感じられてしかたがなかった。

町中で生活していると、どうしても時間にしばられる。生活のサイクルというと言葉あたりはいいけれど、つまりはクロック周波数に同期して生活しているわけだ。自分で考えることなしに、流れに身を任せていれば一応の生活がなりたつ。

でも、それで本当に生きているといえるのだろうか。たしかに生をつないでいるけど、それでは生きているとはいえない気がする。

ただ、それが絶対多数だろうし、そうした流れの外の生活があることを知らない人も多い。
都会にいるかぎりは、それがあたりまえだってことは、そこに原因があるのだろう。その後の僕におおきな影響を与えたのはそこの部分だ。つまり常識ってなんなの? と疑問を抱いたこと。

べつに意識していたんじゃないだろうけど、僕はそれまでは常識は絶対と考えていたのだと思う。

それがふとしたきっかけ(つまり西表島に滞在したこと)で、常識というものを外から眺めることができて、常識というのは、ひとつの枠みたいなもので、地域性、風土なんかにおおいに影響される至極あやふやなものに過ぎないと気づいた。

もちろんそれまで日本の常識は世界の非常識と言われるみたいに、常識が絶対ではないということは知識としては知っていたけど、それを身をもって理解した第一歩だった。西表島に行ったことは、僕に新しい視点を与え、視野を広げてくれた。

最初の西表島での体験は、まとめるなら「きっかけを与えてくれた」といえるだろう。

そしてその夏のもうひとつの旅、東京から箱根まで歩いたという話だけれど、この旅では「自分の持つ力」を確認することができた。

で、そもそもなんで東京から箱根まで歩くことになったかというと、べつに深い意味があったわけじゃない。

高校の社会科の宿題で、昔の街道を歩いてレポートしなさい、という課題が出されたから、ただそれだけ。

どこそこを歩きなさいという指定があったわけじゃないんだけど、家の近所に東海道があったし、それでどうせだから始点の日本橋から歩いて、区切りのいい箱根の関所まで、と思ったわけ。

中学の頃から、友達同士でキャンプなんかにはよく行っていたし、高校一年のときには自分のテントを手に入れて一人でキャンプにも行っていた。

そんなわけで、三泊四日の東海道百キロ徒歩の旅をすることになった。

実のことをいってしまえば、百キロなんて距離を歩き通せるなんて思っていなかった。以前なにかで二十キロくらい歩いたことがあって、そのちょっとした延長みたいに思っていた。どうせどこかでダウンするだろう、そのためにテントを持っている、テントさえあればどこでも泊まれるから、こころおきなく歩ける。

そんな程度の認識ではじめた徒歩旅行だけど、おもいのほか人間の体は強かった。たしかに箱根峠の上りなんかは死ぬほど辛かったけど、気づいたらいつのまにか百キロを歩き通してしまっていた。

自分ってけっこうやるじゃん、少しは自分に自信を持てた。これが最初の徒歩旅行で感じたこと。

それでどうせ東海道を百キロも歩いたんだから、いっそうのこと東海道を全部歩いてやれ、そんな気になってきた。東海道というのは江戸の日本橋と京の三条大橋の間を約五百キロで結んでいる道だ。

以来、高校時代のひとつの課題として東海道全踏破を目標に置いた。

と、まあ以上のふたつの旅がきっかけとなって、僕は旅の世界にのめり込むようになっていった。