旅人たち

ひとり旅をしているひとというのは、考える人ばかりだ。それはいままでに会ったひとに共通している。そりゃ意識的に主体性を持って行動しているのだから当然かもしれない。

パック旅行のように与えられたプランについていくのではなく、自分で考え、情報収集し、行動するのだから、少なくとも無気力であったり、消極的であるはずがない。

みな考え深い人であると同時に、何かに対して積極的な探求心を持ち、「自分」というものを持っている。それにパワーにあふれている。人間らしい人間。ロボット的な人たちが多い今だからこそ、こんな言い方になってしまうのかもしれない。

繰り返しになるかもしれないけど、みんな何かしらの疑問を抱いていた。その答えに到達するために旅をしているのでないかとすら思ってしまう。Tさんなんかはまさにそれだ。自分はどこから来て、どこへ向かうのか。それを求めている。それが彼の「仕事」だ。

イリオモテで一年訓練をして、世界へ旅立つ。そのために過去を精算して、社会的自分を死んだものにしてきた。彼のその行動をすごいとは思うが、特別なこととは思わない。自然な、ありのままの人間なのだと思う。

自由に生きているMさんなんかをみて思うのだが、社会に適応できてしまう人というのは、その代償になにか大切なものを見失ってしまっているのではないかという気がする。

いいかえれば社会に何の疑問も感じない(もしくは感じても自分をそれに合わせられてしまう)人は、自然な自分を押し殺してしまっている、自分が生きるのではなく、社会を生かすために命を持つ人になってしまっているのではないか。

そんなことをいうには、もっと社会を知らなくてはいけないのだろうが、直感的に人について考えるときにそう感じる。

「普通」の人たちは、こうした旅人を異常扱いしたがるかもしれないが、本当は自分たちが不自然であることに気付いているのかもしれない。自分の心の欲するところを行なうだけの勇気がなくて、でもそうした自分を認めたくないゆえに自分を正当化しているのかもしれない。彼らにとって社会、常識というのは果てしない高さのカベなのだろう。しかし、そのカベの限界をみきわめた人、それが、今、ここにいる人たちなのかもしれない。

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